GWは東北へ行こう!三陸ツーリング

 2012年4月29日~30日    1182Km
 
 1日目  自宅常磐道⇒東北道⇒白石IC⇒大河原⇒仙台空港⇒名取⇒塩竈⇒松島⇒石巻⇒牡鹿半島
 2日目 鮎川⇒女川⇒雄勝⇒大川⇒志津川⇒南三陸⇒歌津⇒気仙沼⇒陸前高田⇒大船渡⇒気仙沼街道⇒一関IC⇒
      東北道⇒磐越道⇒常磐道⇒柏IC⇒自宅

 震災から1年が経過、まだまだ復興にはほど遠いが震災前に何度も行った町が被災してしまった

 観光客もまだまだ戻らない中、少しでもいいから東北に行くことで経済をよくしてほしいと思う

 被災地を見るのは決して悪いことではなく、実状を学びに行くことで支援に繋がるものもある

 今年は東北をメインにしてツーリングを考えるのもいいのではないだろうか

今年のGWは前半4月が天気が良さそう

本来は5月3日からの予定を急きょ4月に

変更して決行
まだ朝は寒く気温系は13.5度

陽が上がりはじめたので出発
常磐道 柏IC
本日の朝食

東海PAにていつもの天玉うどん
気温も程よく上昇

天候も最高にいい
福島県に入るとようやく桜が満開の季節

あちこちに桜の花びらが舞う
磐越道から東北道へ
安達太良SAも桜が満開
1月に比べると安達太良山の雪化粧も

少なくなっている
東北道 白石ICで降り、ここからは下道

宮城県でも有名な大河原の千本桜
白石川沿いに延々と桜並木が続く
桜並木は土手沿いのため

車両は入れません
木の枝ではなく幹からも桜が咲いている
満開も少し過ぎて桜の花吹雪が舞う
国道4号から見る桜並木
岩沼から仙台空港に近づくと

震災のがれきが目に飛び込んでくる
空港の滑走路脇にも瓦礫の山が至る所に

ある

空港周辺の残っている建物

津波で中はめちゃめちゃでした

押し流されて来た家の残骸

撤去できずに残っている
空港は再開しています

至る所に津波の被害が残っている
管制塔が二つ

再開に向けて新設したのかも
手前が新しい管制塔

茶色は使ってないみたい

調べたら震災前から新設していたらしい
ターミナルビルもきれいになっている
周辺の樹木は津波の影響で陸地側に側に

向いている
名取川

橋の欄干が流されている
(ここをマウスでダブルクリックして、文章を入力してください。)
瓦礫が撤去されたところは何もない
土台だけ残る広大な土地
流されていない建物はそのまま残っている
木々の向こうが海岸線
瓦礫はまだまだ処理しきれない
本来なら松林が続いていたであろう

海岸沿い
どこも地盤が沈下している
新しい建物だけど津波の被害に遇っている
多くの家が流されて残ったのは新しい家
多賀城周辺
塩竈周辺に入る
本日の昼食は 塩竈かき小屋

港より少し高い場所にある

被害がないように見えるが

背の高さまで津波が来ていた

店の人は避難して無事だったらしい
宮城仙台の牛タンと塩竈の牡蠣を頂く

 リーズナブルな定食に感動
地元の焼き牡蠣

2ケ300円のサービス価格
定食の牛タン半皿
おいしい昼食の後はさらに北上

松島湾に近づきました
ちょうど潮が引いてる時間
双観山展望台
展望台からの松島湾
松島の島々
ここは高台なので津波は大丈夫だった
比較的道路もきれいで松も枯れてない
松島のメインストリート

観光船乗り場周辺
さすが松島は観光客が多くいました
石巻周辺

津波の被害がないように見えるが

1階は被害を受け信号機も新設
瓦礫の撤去は終わっているが

復旧はまだされていない
海岸線寄りの場所には瓦礫の集積場

が延々と続く
石巻周辺

人の住んでいないアパート
牡鹿半島に至る途中の漁村
鮎川港周辺
ホテルも津波の被害で建物が使えない
牡鹿半島

御番所公園

地震の影響ですべて立ち入り禁止
金華山が見える
道路も至るところで被害を受けている

地割れや段差で何度もバンピングした
歩道もあるが半分崩れかけており

危険な状態
本日の宿泊地 牡鹿半島

ホテルニューさかい に到着

海産物豊富な夕食
GWでも満室になるほどの客はいない

牡鹿半島の突端にあるため地理的に

も行きにくいのかも
 いつもの乾杯!
海の近くだから海産物が多くあるが

近くの漁港は壊滅しているので食材の

調達も大変だと思う
生きたアワビを蒸して頂く

肉厚で美味でした
地元らしい食材のひとつ

フカヒレのスープ

鯨の刺身もありました

お腹がいっぱいになりました
朝食はバイキングです

時間も早立ちのお客を考えて6時からと

なっているのはいいですね
部屋から見える金華山

今日は霧が出始めた
バイクは玄関の庇がある正面に停めさせて

くれた

建物も震災で傷んで設備も古いものの

従業員の皆さんが素晴らしいです
ホテル近くの県道も手つかずの状態
道路も陥没しているところが多く

県道なのでまだ復旧はまだ
海岸の断崖側は展望台も立ち入り禁止

ここまで、まだ手が回らないようです
網地島 田代島が県道から見える

コバルトラインが通行できないらしいので

万石浦まで戻りR398を目指す
被災した鮎川港

おしかホエールランド

観光船も運行をしているようです
R398から女川の町に入る

海が見えた途端に津波の被害を目の

当たりにする


女川町地域医療センター

裏山の斜面には

I  LOVE 女川  の植栽文字が
雄勝地区周辺 雄勝海洋センター

堤防の瓦礫はまだ残っている残ったまま
雄勝小学校

3階まで被災している
 北上川  新北上大橋 大川小学校近く

 海まで2キロ以上ある河口にも

 津波が押し寄せていた
北上川河口の北上 吉浜周辺
津波の高さは木々の状態が表してくれる
国道の橋がいきなり寸断していた相川地区

流された橋の仮設橋
十三浜 市の浜周辺の展望台で途中休憩

海岸線を走っていると高台と漁港では津波の

被害による大きな違いがあります
南三陸金華山国定公園のわかりやすい

案内板は走行ルートが確認できる 
観光客はほとんどいません

走行車両も工事用、地元車両が

多い
陸前戸倉周辺

南三陸町周辺

被害が最も多かった地域です

歌津大橋も流され迂回します

カメラの電池切れで写真がありません
気仙沼の街並みが見えてきた

途中の仮設コンビニで休憩と充電を

しました
気仙沼合同庁舎

壁に貼ってある青の印が津波高さ
気仙沼  海鮮市場

1階のレストラン、みやげ物店は以前に

何度か利用してました
岸壁からの魚市場
気仙沼 復興屋台村

港ふれあい公園そば
気仙沼市内の状況
鹿折地区へ向かう
津波と火災の被害を受けた町は

瓦礫もすっかり片付いていた
(ここをマウスでダブルクリックして、文章を入力してください。)
震災の日から唯一残っている漁船

まだありました
鹿折地区周辺
すぐ近くまで来ると船の大きさがわかります

港で見るよりも何倍も大きい
町全体が更地になっています
(ここをマウスでダブルクリックして、文章を入力してください。)
(ここをマウスでダブルクリックして、文章を入力してください。)
港から1.6キロ近く離れたバイパス

が救援の唯一のルートでした
バイパスから見た鹿折地区
(ここをマウスでダブルクリックして、文章を入力してください。)
消防団の赤いポンプ車が2台
気仙沼から陸前高田に向かいます
国道から広田湾を望む

この辺りは高台のため被害は見られない
奥に見えるのが陸前高田の奇跡の一本松

震災前に来た 高田の松原がなくなっていた
気仙川を渡ると陸前高田の市街地に入る

海側は瓦礫が延々と積まれている
陸前高田の町も一目で被害が大きかった

とわかる状況

子供たちが小学生の頃にモビリアキャンプ

場から買い出しに来た街でもある
5階建ての団地は4階まで津波が来ている
高田松原 道の駅
大船渡 ショツピンク゜センター周辺

港周辺にはには何も残っていない

大船渡は地形により被害も大きく違っていた
大船渡まで来たら昼を回っていた

1泊2日の行程なので陸前高田を経由して

一関ICをめざし長者原SAで遅い昼食を摂った

仙台みそラーメン
茶そば定食

昨日も今日も走りづくしでランチタイムくらい

ゆっくりと休みたい
途中、止まっているバイクは関東方面から

の帰宅組
腹こしらえも終わり、睡眠打破も飲んだ

しっかりと運転して帰ります
自宅までおよそ450Km

16時を過ぎてましたが21時には

無事帰宅しました

久しぶりのロングツーで次の日はぐったり

被災地を走ってみて、はじめてとても大きな被害だったことがわかりました。まだまだ復興には長い歳月を必要としますが一につも早く復興できるよう願っています。
ただ、あれだけの瓦礫を処分するするのも大変ですし、都市計画が決まらないなどで建築が遅れているのはどうなんでしょうか。
何十年、何百年と築いてきた街や建物が一瞬で破壊してしまう自然災害の脅威を改めて感じます。

 
 おわり